【稲富菜穂のだいじょばない特別編】どうも、稲富菜穂です。夏恒例企画として新規調教師の方々をフィーチャーしてきましたが、折り返しの第4弾からは、去りゆく調教師の方々にお話を聞かせていただきます。う〜ん、まだまだ続けてほしい方々ばかりなのですが、来年2月いっぱいの定年が規則で決まっている以上は…。「慰留無理さ(仮)」最初のゲストは中村均先生(69)です! まずは調教師になろうとしたキッカケから振り返っていただけますか? 「設計士になりたいと思っていた時もあったんだけどね。もともと動物が好きだった(特に犬だそうです)のもあって、高校3年の時に気持ちが獣医の方へ傾いた。それで獣医大学へ進んだら、増本(元調教師)さんから熱心に馬術部入りの勧誘をされて…。馬に乗ることになったんだよな」 なんだかものすごく激動的! 「卒業する時には選択肢がいくつかできていて。犬猫病院の先生になるか、馬の世界に入るか。それと教員免許も取っていたから学校の先生も…。随分悩んだけど、馬乗りを続けたいって気持ちが一番強くてこの世界に。仮に馬術部に入っていなかったら、違う仕事をしていたかもね」 多才すぎて追いつけませんが、乗馬経験が中村先生のターニングポイントになったわけですね。 「馬に乗っていただけじゃなく、獣医の免許もあったからね。競馬の世界に足を踏み入れるなら、調教師になるしかないとは思っていたよ」 初勝利(厩舎開業の1978年)の瞬間は、今でも鮮明に覚えているものですか? 「“これから始まるんだ”って気持ちになったことは覚えてますね。当時は今ほど出走数も多くなくて、今の出走馬の半分くらいだったかな。だから勝つ確率も倍って感じ。たぶん今の人たちの方が勝つのは難しいよね」 それから、いろいろなことがあったと思いますが、一番うれしかったことは? 「一番最初の大きな感激は(84年の)オークス。トウカイローマンが勝ってくれて。まあ、舞い上がったってほどではなかったですけどね」 調教師生活最後の夏も、喜びの多い夏になるといいですねっ。 「もちろん、いい成績を挙げたい気持ちは強いけど、普段と変わらないスタイルで頑張りたいね」 中村先生といえば、日本調教師会会長を務め、現在は名誉会長。今後の競馬に対する思いを存分にお願いします! 「僕が調教師になったころとは競馬も随分変わった。国際化が進んで、海外の血がいっぱい入ってきたし、日本馬が海外へ行くことも多くなり、どんどん強くなっている。競馬ファンも昔は鉢巻きに赤ペンのおじさんが多かったけど、今は女の人も若い人も増えてトレンディー競馬だよね。世界に肩を並べるところまではきていると思うけど、世界一を目指して、より大きくなってほしいなと思ってます」 引退してからも「馬が好きなので、ファンの一人として何らかの形で競馬に携わっていきたい」と生涯ホースマンを宣言してくれた中村先生。ステキな言葉をたくさん、ありがとうございましたっ。 ☆いなとみ・なほ=1990年12月16日生まれ。関西在住のタレントとして幅広く活躍し、現在はKBS京都の「競馬展望プラス」、ABC「おはよう朝日です」に出演中。彼女が取材した馬が激走することが多いことから、一部のトレセン関係者から「競馬界の女神」と呼ばれている。
コメント
コメント (0)
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。